私が英語をやる理由

ピアノの河田先生が英語のきっかけを

自分探しの一端、「なぜ私は英語英会話をやっているのか」を考えると、どうも小学生の頃のピアノの先生、河田恵子先生の影響が大きいのではないかと思われます。英語の先生ではなくピアノの先生が、小学生の私を英語方向に向かせるきっかけとなってくれています。

氷の入ったカルピスをカラカラと

デンとグランドピアノがある応接室のソファでレッスンの順番待ちをしていると、河田先生のお母様がいつも氷の入ったカルピスをカラカラという氷の響きとともに出してくださったのを覚えています。カルピスのことを覚えているというより、カルピスのことしか覚えていないような… グラスについた水滴の様子までも鮮明に残っています。

カルピス以外の記憶

ところがカルピス以外に、もう一つ覚えていることがあります。
河田先生は声楽が専門で時々勉強でドイツに行かれていました。
結局、先生はその後ドイツ永住となり、私のピアノのレッスンは別の先生に引き継がれました。

ドイツ行きが決まり、もの凄く忙しくて時間のない河田恵子先生が、当時なぜ更に忙しかったかという理由は「英語とドイツ語のレッスンを受けているから」ということでした。

先生とはいつもレッスンの後にほんの少しだけお話ししましたが、当時英語を習っていた私に、英語はやめないで続けるように言われました。
私にピアノを教えている彼女が、ピアノをやめるなと言わず、英語をやめるなと言ったことに何ともいえない現実味を感じ、ストレートに英語は張り切ってやりました。私に音楽のセンスが無いのを早々に見抜いた彼女が、「英語を!」と言ってくれたのかもしれません($・・)/~~

具体例が身近にないとがんばらない小学生

小学生は馬鹿にできません。
大人が思うよりはるかに現実的です。身近なはっきりした具体例があれば瞬時に事を学びます。

河田先生は声楽家として声楽の勉強をする
⇒ところが同時に言語習得に相当な時間と労力をさいている
⇒なぜか?
⇒言語が必要不可欠だからだ

こういった身近な大人の具体例が、小学5年生の私にはかえって理解しやすかったように思います。ただむやみに頑張れと言われているのとはわけが違います。(そうか、語学が必要なんだ・・・・。)

河田恵子先生からのお手紙

昨年、河田恵子先生にもらったお手紙をみつけました。40年前のお手紙です。

「さて、私は3月2日の夜、ルフトハンザの飛行機で出発します。インドの方を通ると痛くて熱の出るコレラの予防注射が必要なので、北極経由で行きます。その方が時間も早いのですが、寒い所ばかり通るので、冬オーバーを着て大きなトランクを持って、ミュンヘンに着く頃にはふらふらになっているかもしれません。
でもうれしいことに、ミュンヘンでは世界中から留学して来ている女学生ばかり150人も住んでいるとてもきれいな寮に入りますので、一人でも、助け合えますから寂しくはないでしょう・・・。お元気でね さようなら」

2月25日付のお手紙です。3月2日の出発をひかえた彼女の心情が、40年後の私には手に取るようにわかります。

そしてそこにもしっかり書かれています・・・
「昭子さんも英語のレッスンも続けてくださいね。言葉だけは短い期間ではものになりません」
短い期間ではものにならない。そのとおりですね、河田先生!